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Orgaworks History人間不信になりかけた!?転機となった大正のプロジェクト

オルガの歴史 オルガ誕生 大正シェアアトリエ 10円ハゲ

細川 細川

こんにちは、細川です。

小川が小川合名会社を引き継ぎ、オルガワークスを創業するまでのお話です。小川ビルの復活から、転機となったヨリドコ大正メイキンのプロジェクトまでの記録です。

聞き手/文
ヒトト製作所 野坂大

登場人物

小川

小川

現オルガワークス社長。当時は東京でWEBの仕事をしていた。突然、小川合名会社に入社することに。

細川

細川

現オルガワークス専務。当時は独立したてのデザイナー。小川合名会社の不動産を生まれ変わらせる。

会長

会長

現小川合名会社会長。息子も小川と一緒に小川合名会社を救済する。

同時に小川ビルのハードを整えていく

テングマルシェを行う度に毎回、小川ビルに関して何かしら提案することにしていました。

2ヶ月後にはお客さんが100人くると言うのが分かっているので、一人でも多く小川ビルのことを気に入ってもらうために、メンテナンスをしっかりやる。

・廊下の電気が暗いとか、
・トイレが気持ち悪いとか

少しずつ進めていきました。

 

 

見違えるようになった小川ビル

その頃から小川は、ビルのオーナーとしてもポジティブな状況になっていました。

 

小さいことを二人三脚でずっとやっていたら、4,5年後には小川ビルもすごく良くなっていて、空室率も改善しつつありました。

 

僕らは、細かく+50万ずつでもいいから、少しずつビルを改善していくことが大事だと考えていました。

テナントを一軒増やす→50万で改修
テナントを一軒増やす→50万で改修

というように。

 

今となっては、最低限のコストで、効率よく改善できたんですが、これはすべて結果論。やってる時はものすごく感覚的で「これやってみよう!」って感じで、行動するという繰り返しでした。

そんなことを繰り返していくうちに、お互いの役割が自然と定まってきて、

細川は実践する人、小川は投資する人

という役割で信頼関係が出来上がっていきましたね。

 

デザイナーとしてのモチベーション

気づけばテングマルシェは僕自身の活動の目玉になっていました。

それに、先にも言ってた通り、僕には小川ビルのプロモーションの責任があると思っていたし、何より、ビル自体の問題解決をしたいと思っていたので、依頼されたデザイナーではなくて、自ら能動的に行動していました。

「場づくり」みたいな言葉もよく聞く時期だったから、当時のメディアに「ビルマルシェでコミュニティ作り」とか取り上げられたりもして、自分の経験値にもなったんじゃないかと思います

 

 

激動の一年

テングマルシェが上手く行き出した頃、まだ余ってる部屋を使って、シェアオフィスをややろうってことになったんです。ものすごく適当な事業計画だったんですが、小川に見せたら「これやりましょう!」って言ってくれたんです。

 

小川
小川
成功するかどうかよりも「楽しい」「面白い」「こんなに変わるんや」と言う期待値の方が大きかったですね笑

 

そして、シェアオフィスをやろうと決めてから半年後には、ヨリドコワーキンがオープン、それと同時期にメンズブランド TENG STORE OSAKAもオープンさせましたから、なかなかハードな1年でしたね。

 

その1年はめっちゃ濃かったですね。ほんと。。

 

 

転機となった大正のプロジェクト

大正の物件をなんとかするぞ

ヨリドコワーキンとTENG STORE OSAKAがスタートしたあと、ヨリドコ大正メイキンという事業も小川の会社で始めることになりました。

 

ヨリドコ大正メイキンとは、小川合名会社が保有する築65年の大阪の大正区にある文化住宅をリニューアルするというプロジェクト。

 

これを、なぜか小川は一人で進めようとしていたんです。

 

テングマルシェも、ヨリドコワーキンも一緒にやってきたのに、なんで声かけてくれへんのやろ?
細川
細川
忙しそうやし、また負担かけるのは申し訳ないな〜
小川
小川

 

いてもたってもいられず

いろんな業者にあたっては断られ、潰して駐車場にしましょうと言われたり、億単位の見積もりが出てきたり、全くうまくいかず。一人で四苦八苦している小川を見ていて、いてもたってもいられませんでしたね笑

細川
細川
ちょっと待って、何で一緒にやらへんの?

えっ!いいんですか!??
小川
小川

 

ここでようやく細川がプロジェクトに参加。

目の回るプロジェクト

そんなこんなで、一緒に仕事をすることになったのですが、このプロジェクトが、めちゃくちゃ大変で、正直「二度ともうやりたくない」って思うくらいです。僕が企画したんですが笑

企画を詰め込みすぎました。

いろんなイベントとか、クラウドファウンディングとか、D I Yの企画とか、全ての導線がつながっていて、それぞれが成功しないと、全てがぱあになっちゃうように計画だったんです。

目の回るような忙しさ。そのせいで当時僕は誰も近寄れないようなオーラを放っていたみたいです。

 

リングに上がってこない小川

もともとは一緒に仕事をするはずだったのに、気付いたら僕が一人で回している状態

まるで大家(小川)と企画を任された人(細川)って感じ。「社長も主体的に関わって欲しい」と思っていたのに、小川はほとんど現場にもいなくて人間不信になりそうでした笑

 

「社長も乗ってこいよ!」ってリングの上から叫んでいるのに、小川は体育館の端っこから見ている状態でしたね。

 

小川と一緒に仕事をするのはこれで最後だなと思っていましたね。お金出してくれるだけで、すごく冷たい人だなって。

 

僕はその頃、円形脱毛症で大きなハゲが2つもできていました。

 

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