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Orgaworks History
蓋を開けたら火の車。小川合名会社の代替わりドタバタ劇。

オルガの歴史 オルガ誕生 ドタバタ代替わり 小川合名会社

小川 小川

こんにちは、小川です。

小川合名会社を引き継ぎ、オルガワークスを創業するまでのお話です。突然の代替わり、会社の整理、空室だらけの本社ビル。入社した頃は会社をたたむつもりでした。

聞き手/文
ヒトノチカラ製作所 野坂大

登場人物

小川

小川

現オルガワークス社長。当時は東京でWEBの仕事をしていた。突然、小川合名会社に入社することに。

細川

細川

現オルガワークス専務。当時は独立したてのデザイナー。小川合名会社の不動産を生まれ変わらせる。

会長

会長

現小川合名会社会長。息子も小川と一緒に小川合名会社を救済する。

小川、突然の入社

オルガワークスの母体でもある小川合名会社。

僕は、もともと東京でフリーランスとしてWEB関連の仕事をしていたのですが、当時本社ビルが大阪にあることすら知らなかったほど、この会社のことは全くわかっていない状況でした。

 

それが、平成20年に突然、小川合名会社に入社。

 

というのも、当時の小川合名会社の代表は、僕の祖父の親戚。

その代表が80歳を超え、癌を患ってしまったため、引退せざるを得なくなりました。

代表には一緒に経営していた弟がいましたが、一人では難しいということで養子をとって経営をはじめる事になりました。その時ちょうど定年退職したタイミングの僕の父が、会社を手伝うようになったんです。

 

いざ、蓋開けて見たら、

想像を越える状況だったようで「俺だけじゃなんともならんから、お前も手伝え!」と父に引っ張り込まれ、

僕も会社に入社することになったんです。

 

 

結構ヤバかった会社の状況

ビルもあるし不動産も持っているし、その上、昔は財をなした会社だったと聞いていたのですが、実際は結構ヤバイ状態。

  • 全然、儲かっていない
  • 関わりの無い親戚に給料を長年支払っている
  • 借金もある

火の車とはこのこと。

 

ビジネス経験ゼロだった養子は、よほど嫌だったのか、ある日、机の上に車の鍵を置いて失踪。その養子が小川合名会社株を99%保有。その株をこちらが買い上げないと整理もなんにもできんので、買い取る方向で相手の弁護士と話し合い。

しかし、どこかで知恵を付けたのか、法外な値段で買取要求されたんです。
そこからまさかの泥沼お家騒動。決着するのに3年も要しました。

 

その当時は、まだ僕が会社を継ぐかどうかも決まっていませんでしたが、

父親と僕は「とにかくこの会社守らないとあかん」と腹を括ってことに臨みました。

 

 

当事者にならざるをえなかった

この会社は合名会社。

合名会社とは、1株持っていても、99株持っていても、会社が潰れた時の損害は同じ。つまり株の保有率は関係ない。

僕も株を少しだけですが持っていたので、この会社が潰れたら僕も困ることになるんです。それに、汚いお金の使い方が嫌だったので、『みんなが嫌な思いする前に片付けよう』というモチベーションで動いていましたね。

 

さあ、誰がこの会社を継ぐ?

すったもんだの時をへて、ようやく全ての株を買い上げ、会社がきれいになり、再スタートできたのは、3年後でした。

 

さあ、きれいになったこの会社を誰が継ぐ?

決着ついたのもつかの間、元代表の弟も80代になり、引退をすることに。

 

 

そして、残された僕と父が、会社を管理することに。

僕らには、この会社を前向きに運営していく気持ちは全く無くて、「この会社をどうやって、きれいに終わらせるか」しか考えていませんでした。

 

 

小川合名会社は、小川証券会社から始まった

そんな僕たちが関わった時は修羅場だった小川合同会社。

もちろん昔からそんな会社だったわけではなく、

小川合名会社は、元々、大正時代に小川証券という会社の資産管理会社として独立した会社でした。

 

さかのぼること大正15年。

関東大震災があった時代。そういう過渡期に両替商として財をなし、始めたのが小川証券会社です。

当時は両替商をやりながら、投資をして、林業もやっているような会社だったみたいです。

 

家族が露頭に迷わないようにと、小川平助という僕の先祖にあたる人物が小川合名会社を創業したと聞いています。

戦後に起きた杉バブルに乗じて、奈良の杉山を買ったりしていたらしく、今でも小川の山を管理している方に「小川さんのところのおかげで儲かりました」って言われることがあります笑

 

不動産業の始まり

時代が変わって、小川証券会社がなくなり、小川合名会社は不動産業をスタートさせました。

「家族が露頭に迷わんように」という先代のおかげで、不動産物件をいくつか持っていたので、そこからは大家業一本でやってきたようですね。

 

 

当時の持ちビルは、空室6割のひどい状況

そんな、小川合名会社ですが、

テナントビルとして企業に部屋を貸していた、80年代生まれのガラス張り本社ビル。

小川が入社した当時、6割以上が空室。

  • 設備も古いまま
  • トイレも和式
  • 放置され何も管理されていない

そんなひどい状況でした。

 

 

完成当時は一番かっこいいバブリーなビルだったはず。

基礎はすごいしっかりしているし、外がガラス張り。ガラスは経年劣化がそんなに気にならないので、古く見えないことがよかったところですね。

 

 

問題は立地だった

昔はこの地域にABC(朝日放送テレビ)の社屋があって、映像関連の会社がこのビルを使ってくれていたのですが、

平成20年に朝日放送の社屋が移転したのをきっかけに、この地域のビルは事務所ビルとしての価値が、ほぼ無くなったんです。

 

仲介会社に相談に言っても、駅近でもないし、全然取り合ってもらえませんでした。

「こんな所…ねぇ?いくらきれいにしてもねぇ…」と散々言われる始末。

 

 

さらに、北浜にもあるビルでも、

長年安定して入居してくれていた企業が、突然、退去。

この頼みの綱の北浜ビルがスーパーピンチに。そして、そのまま北浜ビルは2~3年放置してしまうことに。。。

 

 

最初の仕事は、小川ビルの復活

なんとか持ちビルを活性化させなあかん!

これが僕らの最初の仕事になりました。

でも、やりかたがわからない

不動産の仕事をしたことなかったので、「どうしよ!どうしよ!」っていう感じでしたが、とにかく「できることからやるしかない」ということで自分が感じていたビルの嫌なところから手を付けてくことに。

  • 部屋が汚い
  • トイレが和式
  • ビルの前に自転車がいっぱい止まっている
    などなど

ケアしないいけないところは、たくさんあったのですが、少しづつ少しづつ進めていきました。

 

リノベーションしても1年間、新規入居者ゼロ

友人の会社にお願いして、

小川ビルのいたるところをリノベーションをして、キレイにしましたが、

1年ほどは中に誰も決まらなかったですね。

 

そんな時ですね、細川が入居してくれたのは。

 

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