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YORIDOKO TAISHO MAKIN'すべては大正に『神吉奈桜』が住み始めたのが始まり

ヨリドコ大正メイキン 大正シェアアトリエ 空き家活用 行政バックアップ案件

細川 細川

大阪の大正区にある「アトリエ+住居+店舗一体」のモノづくりびとに向けた拠点「ヨリドコ大正メイキン」をスタートさせたきっかけについてお話します。

聞き手/文
ヒトト製作所 野坂大

登場人物

小川

小川

小川合名会社社長。ヨリドコ大正メイキンのオーナー。

細川

細川

当時は小川ビルに入居していたフリーランスのデザイナー。企画全般、広報などを担当。

神吉奈桜

神吉奈桜

ヨリドコ大正メイキンができるきっかけとなった人物。イラストレーター兼、広報担当。

川幡さん

川幡さん

一般社団法人大正・港エリア空き家活用協議会(WeCompass)。建物の基本的な設計・施工などハード面担当。

 

大正に『神吉奈桜』が来たことが、すべての始まり

神吉奈桜(かんきなお)さん

ヨリドコ大正メイキンの隣にある『小川文化』の南棟、通称:人魚棟イラスレーター/漫画家の神吉奈桜さんが、引っ越してきたことがすべての始まりです。

 

現在は、その人魚棟でアトリエ/喫茶/ギャラリーを運営されている神吉さん。

このヨリドコ大正メイキンになる建物は、もともと南棟と北棟からなる『小川文化』という長屋住宅。人魚棟は神吉さんがこの小川文化の南棟に名付けた呼び名。

 

出会いは、僕らが小川ビルでやっていた蚤(のみ)の市『テングマルシェ』。当時は、窓絵作家をされていました。

テングマルシェに出店してくれたり、僕が大阪でやっていたビジネスを学ぶ塾『テングのヨリドコ塾』に30回以上通ってくれました。しかも兵庫県たつの市から2時間以上かけて。

 

小川
小川
神吉さんは、めちゃくちゃユニーク!テングのヨリドコ塾でも、塾長の細川塾生の神吉奈緒のペアが、名物的な感じになっていて『テングのヨリドコ塾と言えばあの二人』みたいになっていましたね。

 

 

大阪移住物語

神吉さんが以前住んでいた兵庫県たつの市の「矢車商店」

 

当時は、兵庫県たつの市で築100年ほどの扉も閉まりかねるような家に住んでいた神吉さん。そこで、小川が神吉さんを小川文化に住まないか?って誘ったのが始まりです。

彼女自身も大阪に出てきたい気持ちがあったようなので、ちょうどよかったのかもしれませんね。

 

ものすごい状態だった南棟

神吉さんは、小川文化の南棟の2部屋を借りることになりました。

一部屋はすぐ住めるくらいキレイだったんですけど、アトリエにしようとしていたもう一部屋がものすごい状態

前に住んでいたおじいちゃんの残置物が足の踏み場がないくらい残されていて、しかも、イタチとかネズミの糞だらけでまともに人が入れる状態じゃなかったんです。

お菓子工場でクッキーに入れるチョコチップ1トンを間違えて撒いたんかってくらい糞が落ちていたんです笑

 

神吉奈桜
神吉奈桜
「よしっ!こっから1つ荷物を出すぞ!」と言う気持ちでドアを開けて、5分くらい立ち尽くして、そのまま、そっとドアを閉めて、涙しながら隣の部屋に帰るって言う生活でしたね。。

 

一人ではどうしようもない!Facebookでヘルプミー

一人では、どうしようもないと悟った神吉さんは、フェイスブックで「ヘルプミー!人魚棟大改造」ていうイベントを立ち上げて、片付けを手伝ってくれる人を募ったんです。

 

神吉奈桜
神吉奈桜
ほんとに当時お金もなかったし、八方塞がりで、「万事休す、もう知らん知らん知らん知らん!」って感じで「ヘルプミー」をしたんです。

とにかく途方にくれてました。「やるぞー」とか希望に溢れてたわけじゃ全然なくて、「もう、どうなってもいい」って気持ちでしたね笑。

 

ヨリドコ大正メイキンへと続く道の始まりがこの1枚の画像

 

 

自暴自棄で始めたこのイベントに、いろんなクリエイターさんや、DIY得意なインテリア関係の人が、手伝いに来てくれたんです。ゴミを捨ててくれたり、土間を剥がしてくれたり、下にコンクリをうってくれたり。

その日その日にできる人と一緒に作業して、どんどん部屋を作っていきました。

神吉奈桜
神吉奈桜
「ヘルプミー」をして、手伝ってくれる人募ったけど、誰もきてくれなかったらどうしようとか、恥ずかしいなって思いがめちゃくちゃあったんです。だけど、そんなことを考えてる暇はなかった笑。

もし来なかったら夕暮れ時に玄関さで私が膝を抱えている写真を撮って、「本日の来場者0」って書くというオチまで決めてやってました。

 

まさかの大正区長が駆けつけてくれた

地元の大正に住んでいる人も手伝いに来てくれるようになったんですけど、その人たちがS N Sで人魚棟の状況を発信してくれたんです。

そうすると、大正区ってコンパクトな街だから、その発信が大正区長の目に止まったみたいで、

大正区で「ヘルプミー」って言われたら、僕がいくしかないやん!

って、わざわざご本人自ら駆けつけてくださったんです。

 

 

ノリがよくて、めっちゃ面白い区長でしたね。

最初は「大正区長ってタスキをかけた自称区長言うてる怪しい人が来てる」ってなって、ざわつきましたけど笑。

よくよく聞いたら本物で、それが当時の大正区名物区長・筋原章博(現・港区長)さんでした。その出会いの後、大正区として神吉さんの暮らしぶりを広報でバックアップしてくれるように。

古い建物を活用して若い人が住むってことが、大正区の方針そのものだったんです。そのおかげで全力でサポートしてくださいました。

 

 

大正区話題ガールに

「空き家で何かやろうとしているんだ、面白そう!」と思ってくれた人が手伝いに来てくれたり、「大正」っていうキーワードで地元の人が見にきてくれたり、こんな感じで、彼女が大正に来てプチブレイクしたんです。

 

小川
小川
このプチブレイクを知った人達は「変な女の子が来たらしい」「やばいぞやばいぞ」ってなってました笑
「神吉さんがなんかするんやーいこかー」とか『ヘルプミー』やから「助けたろー」とかの気持ちの人もいたと思うけど、正直なところ「この子、大丈夫なのかな?」ってのがあったのかも笑
神吉奈桜
神吉奈桜

 

「ヘルプミー」で変わったこと

彼女は『アーティストはたとえ不幸であったとしても、反骨精神から製作物が生まれるものだと思っていたけど、ここにきて『安心安全に人と暮らして、そこから出てくるものがある』と言っていました。

エネルギーがネガティブなところから、ポジティブなところに変わったみたいです。

神吉奈桜
神吉奈桜
当時、住んでいたおじいちゃんおばあちゃんが私が来たことをすごく喜んでくれて応援してくれたことは、すごく励みになったし、私の中でアーティストとしての何かが、確実に変わったと思います。

 

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